hunahunasan’s blog

韓国や韓国語に触れよう!

須磨寺(神戸の大寺院、すまでら)

1.このお寺は、崖の上に駐車場があってここからエレベーターで下まで降りるという変わった特徴があるが、その理由はここが平安時代に源平の戦いを決定づけた一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)の実際の舞台だからです。

f:id:hunahunasan:20220322143715j:plain

 

2.ここで源平合戦(げんぺいがっせん)を簡単にまとめます。結論からいいますと源頼朝(みなもとのよりとも)が勝ち、彼は最初の武士政権である鎌倉幕府を開きます。その前に頼朝の弟である戦いの天才源義経(みなもとのよしつね)が兄との戦いに敗れ自決します。その前に元々頼朝のお父さんの源義朝(みなもとのよしとも)が平清盛(たいらのきよもり)と戦い、義朝が敗れたために彼の子供たちが平氏に勝って父の復讐をしたわけです。

 

3.須磨寺(すまでら)の正式名称は福祥寺です。平安時代の初期に創建されました。本堂に木造十一面観音立像が重要文化財になっているのですが、このお寺は何よりも平氏の武将平敦盛(たいらのあつもり)を祭っています。境内には敦盛の首塚源義経が大きな松の木に座って敦盛の首を実検したとされる神木、敦盛が使ったという笛なども所蔵しています。

f:id:hunahunasan:20220322143717j:plain

f:id:hunahunasan:20220322143720j:plain

f:id:hunahunasan:20220322143729j:plain

f:id:hunahunasan:20220322143726j:plain

f:id:hunahunasan:20220322143723j:plain

f:id:hunahunasan:20220322143707j:plain

f:id:hunahunasan:20220322143710j:plain

 

4.でました。高麗という字。敦盛は笛にとても造詣が深く、彼を討ち取った熊谷直実(くまがいなおざね)も平家の陣から笛の綺麗な音を聞いたので「あぁ、まさにあの笛を吹いておられた方はこの方だったのか。戦に笛をお持ちとは、なんと心の優しいお方であろう」と嘆き、涙をみせたという言い伝えも残っています。

f:id:hunahunasan:20220322143712j:plain

 

5. 須磨寺を出た後、三ノ宮に行って神戸牛を食べて解散しました。