hunahunasan’s blog

韓国や韓国語に触れよう!

高麗寺跡(こまでらあと)

1.「韓・国」のハングル読みは、「ハン・クック」です。韓国ではハンの漢字が「恨」もあるので、「ハンクック=恨国」という等式が成立されます。つまり、韓国は恨みの国だと。何の恨みかといいますと、それが「アリラン」です。アリランは離散哀愁を表現した歌です。

 

2.時は、欽明(きんめい)天皇23年(562年)8月、天皇の命によって当時の武将だった大伴狭手彦(おおとものさてひこ)は数万の兵力を率いて朝鮮半島に渡り高句麗を討伐、多数の珍宝と共に大勢の人質を連れて帰還したという記録が日本書紀に出てくる。

 

3.狭手彦(さてひこ)が日本に連れ帰った高句麗の人質が山城国の狛人(こまびと=高麗人)の祖となり、この地域を拠点とした高麗(狛)氏となります。

 

4.高麗寺はこの山城町の地にあり、創建は飛鳥時代の渡来僧(高麗僧)の恵弁により、7C初旬(600年代の初)に創建されたとの伝承がある。このことは日本最古の寺院の1つであり、平安期まで存続しました。今は廃墟と化し、高麗寺跡はJR上狛駅の南東500mの広大な田畑の中にあります。

 

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5.この寺で使用された瓦は、飛鳥寺と同じ軒瓦(のきがわら)が使われたといわれます。高麗寺の近くは日本仏教を復興させた聖武(しょうむ)天皇が740年から3年間都として使っていた恭仁京(くにきょう)がいた場所で、高麗寺も聖武天皇時代に中枢的な役割を果たしたと思われます。

 

6.今は過去の栄華は消え、寂しく歌碑(かひ)だけが残っています。「旅人よ 思いいたせよ 古えの 道を開きし 高麗の脚あと」 ...........  離散哀愁の歌ですなあ。

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